最近、スペースXがロケットに民間人を乗せて月旅行をするというニュースがありましたが、
今から50年以上も前にアポロ計画で月に降り立った人物がニール・アームストロングです。
今回はこの人類史に残る偉業を達成したニール・アームストロングについて紹介します。
ニール・アームストロングの生涯
スペースXが最近発表した月旅行は、月の近くを通るだけの予定です。
このように現在でも、月に人間が降りるというのは非常に大変なことなんですね。
しかし、今から50年以上も前にそれを成し遂げた人物がいます。
それが、アポロ計画で人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロングです。
オハイオ州のワパコネタに生まれたニール・アームストロングは、小学生のころから飛行機の模型を作っていたそうです。
彼の伝記を書いたジェームズ・ハンセンには、本当は航空デザイナーになりたかったと話しています。
「良い航空機のデザイナーは、操縦面も知っている必要があると思い、パイロットになったんだ」と語っています。
彼が初めて単独で飛行したのは、16歳の誕生日と数週間のときでした。
宇宙飛行士になる前は、アメリカ海軍のパイロットとして朝鮮戦争でジェット戦闘機「F9Fパンサー」を実戦経験しています。
後に彼はNASAの前身NACA(アメリカ航空諮問委員会)のテストパイロットになって、実に200種類以上という飛行機を操縦しています。
「究極のテストパイロット」とも言われるアームストロングは熟練の航空宇宙技士として1960年代に多くの飛行テストに参加しています。
ハンググライダータイプの飛行機や超音速ロケット推進航空機など、あらゆる飛行機のテストパイロットだったのです。
1961年に「マーキュリー・セブン(アメリカで初となる宇宙飛行士の7人)」に続いて、第2次宇宙飛行士選抜が行なわれる発表がありました。彼はアポロ計画や宇宙空間の探査に胸を躍らせ、危険とされている宇宙飛行士になることにも何のためらいもなかったそうです。
このとき、彼の志願書が有人宇宙センターに届いたのは提出期限の日から1週間過ぎていましたが、空軍基地で共に長く過ごし後にMSCに在籍することになるディック・デイは、そのニールの志願書を、他の志願書の山に潜り込ませたそうです。
アームストロングは宇宙飛行士となって、「ジェミニ1計画」「アポロ計画」などに参加し、1969年7月20日、有名なアポロ11号によって人類の人間で初めて月に降り立ちました。
このときNASAの上層部に彼が月面に降りる初めての人間として選ばれた理由は、「最も自己顕示欲が少ない人物」と見られていたからだそうです。
アームストロングの名言は月面着陸したときの有名な
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」
というものです。
彼は、着陸船の操縦士であるバズ・オルドリンと共に、月面で2時間36分過ごしました。
この計画が成功した後、1971年にNASAを引退して大学教授になって、航空宇宙工学の教授となりました。
さらに、クライスラーやユナイテッド航空、マラソン・オイルなど同時に複数の企業の役員を務め、2002年に企業経営から引退した後は、「ゼネラル・アビエーション(軍事航空・定期航空路線を除く航空の総称)」で飛行機の操縦をしていたそうです。
ニール・アームストロングが亡くなった年と日付
2012年8月25日に、心臓血管手術の後の合併症で、82歳で死去しました。
ニール・アームストロングの性格は「まじめすぎる人」
人類初の月面着陸を成し遂げたニール・アームストロングとは、どういった人物だったのでしょうか?
立花隆氏の著書によると、「あまりに健康的すぎる人物で、面白みに欠けるほど。常に冷静で取り乱すことがない」という性格だったそうです。
ここにそんな彼のエピソードを紹介してみます。
地球に帰ってからは政治の道に勧誘されるもののこれを一切断っています。
彼は、現在良く言われているように、アメリカの正義を基にアメリカが世界の警察になるということに反対だったそうです。
月から帰って10年後の1979年、オハイオ州レバノンの自宅にある農場で農作業をしていた時、刈取機が婚指輪を絡み取り、指輪をしていた部分の指が切断されてしまいました。
しかし、彼は全然慌てることなくその指を拾って氷詰めにして、ケンタッキー州の病院まで行って縫合手術を受けたそうです。
また、彼のサインが高額な値段で取引されているのを知り、以来サインをすることを一切断るようになりました。
サインをねだる手紙を出すと、丁寧な言葉で断りの文書が送られてきたそうです。
ニール・アームストロング以降、今でも月に降りた人はいません
人類初の月面着陸をしたニール・アームストロングについてでした。
1969年から半世紀以上も経った現在でも、彼以降で月に降り立った人はいないのですから、
いかにすごいことだったかということがわかりますね。
NASAの長官の言葉にもあるように、彼の名前は歴史の本があるかぎりその中に残るでしょう。