(※ ボイジャー2号による撮影 1989年8月16日から17日/wikipedia)
海王星は、太陽から45億キロ離れたところを周っている太陽系でもっとも遠い惑星です。天王星からさらに16億キロ離れていて、かすかな太陽の光を受けて、何もない宇宙空間にひっそりと青くその姿を浮かべています。
海王星から見る太陽は、あかるい恒星のひとつに過ぎず、海王星は昼間でも地球の満月の夜くらいの明るさしかありません。太陽から受ける熱エネルギーは極少なく、海王星の表面気温はマイナス223℃にまで下がり、すべてが固く凍り付いています。
しかし、内部には放射性元素の崩壊熱とみられる熱源があり、中心部は5000℃以上になっていると見られています。地殻変動もあるとみられ、ボイジャー2号の写真では、火山から液体メタンの溶岩と思われる物質が噴出される様子が確認されています。
この記事の目次
太陽系の最遠惑星
(※ 地球と海王星の大きさの比較/wikipedia)
2006年8月にチェコのプラハで行われた国際天文学連合総会で、それまで太陽系でもっとも遠い惑星とされていた冥王星が、惑星のカテゴリから外されたことにより、海王星が太陽系最遠の惑星になりました。
冥王星以外にも、直径数kmのいびつな岩石と氷の塊や、直径数百kmに成長した球形の天体が、海王星より外側の軌道にたくさん発見されました。それらは、海王星を含む太陽系の他の惑星と異なり、極端に傾いた楕円形の公転軌道を持っているため、太陽系外縁天体として、惑星と区別して分類されることになったのです。冥王星もそれらの外縁天体のひとつとして扱われることになりました。
海王星の構造
(※ 海王星の内部構造)
天王星とよく似た組成をもっており、水素80%とヘリウム19%で構成され、わずかにメタンやアンモニアが含まれます。大気の層を下降していくと、水やメタン、アンモニアの濃度が高まっていき、温度が上昇して、液体のマントル層になります。中心部は700万気圧に圧縮された鉄やニッケルを含む岩石の核があって、5000℃の高温になっています。
海王星の大気と雲
(※ボイジャー2号の撮影による北半球の雲/wikipedia)
海王星は大気に含まれるメタンが赤色のスペクトルを吸収するため、ボイジャー2号が撮影した写真は、美しく濃いブルーの星で、まるで地球の海があるかのようです。天王星よりさらに濃い青色ですが、大気の組成は天王星とほぼ同じです。我々が知らない物質が海王星には存在するのかもしれません。
ボイジャー2号が撮影した海王星の写真には、木星の大赤斑のような暗い渦巻きが写っています。渦は地球がすっぽり入るほどの大きさがあり、内部では風速600メートル以上の風が吹いているようですが、これが高気圧か低気圧なのか、情報が少なくてよく分かっていません。
この渦は、大暗斑とか大黒斑と呼ばれますが、最近の地上からの望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡での観測では、渦は消えていました。ほかの場所に小さな暗い渦ができていたので、木星の大赤斑のように300年以上も続く渦ではなく、もっと短命で繰り返されるもののようです。
(※ボイジャー2号が撮影した大暗斑/wikipedia)
また、ボイジャー2号が撮影したもう一つの写真には、地球に見られるような白い雲の筋があります。一見穏やかな海に浮かんだ秋の雲のような感じがしますが、これは水素とヘリウムの大気に浮かんだマイナス240℃のメタンの雲で、最大2000km/hにもなる高速の風にのって流れています。これらの雲は、海王星の北緯29度にあり、 雲の縞模様の幅は50〜200km、雲の高さは表面から約50kmになります。
海王星の季節変化
(ボイジャー2号が写した海王星の南半球/wikipedia)
海王星の自転軸は公転面に対し29度傾いていて、地球のような季節変化があります。ただし公転周期が164.79年もあり、一つの季節が終わるのに約40年もかかります。
ボイジャーが到着した1989年は、海王星の北半球で夏が終わり、南半球が春に向かう季節で、赤道付近に巨大な大暗斑とよばれるくらい渦が観測されました。その後ハッブル宇宙望遠鏡が、1996年、1998年、2002年の3回、赤外線カメラを用いて海王星を撮影した画像を見ると、2002年の画像には多くの白い雲が流れていることがわかります。また星全体の明るさも2002年がもっとも明るくなっています。南半球が夏に向かって気候が活性化しているものと思われます。
ハッブルが海王星の表面を撮影した画像(出典:http://hubblesite.org/news_release/news/2003-17)
また、2007年9月にはヨーロッパ南天天文台(ESO)の大型望遠鏡VLT(Very Large Telescope)が、海王星の南極が周辺に比べて暖かくなっていることを観測しました。海王星の表面は平均マイナス200℃ほどですが、南極部分だけが10℃ほど上昇していたのです。
海王星は太陽から30AUの距離(AUはAstronomical Unitの略称で太陽と地球間の平均距離を1AUとする)にあり、太陽から受ける光のエネルギーは、地球の900分の1と、ほんのわずかです。
しかし、約164年もかかって太陽の周りを1周する海王星は、一つの季節が40年続きます。真夏を迎えた海王星の南極は、一日中太陽が照り続けます。微弱な太陽の光であっても長い時間じっくりと降りそそぐことで、光が照り続けるところと、あまり照らないところで大きな寒暖差が生じるのです。
温度分布を示す海王星の赤外線画像(出典:https://www.eso.org/public/news/eso0741/)
海王星の発見
天王星の軌道にみられる不規則性が、ニュートンの力学では説明できないことに疑問を持っていた天文学者が数学的な計算を行い、天王星より外側にある惑星の位置を予測することによって、海王星は発見されました。
海王星の等級は7.7等星と暗いため、肉眼では見えませんが、望遠鏡が発明されたことにより、古くから天文学者の観測の対象となっていました。しかし彼らはこれを惑星ではなく、恒星として考えていたのです。
1613年、ガリレオ・ガリレイはこの星を観測し、動きがあったことを記録に書きとめているようですが、惑星としては認識していなかったようで、継続して位置を追跡することをしていません。それから180年経って、1795年にジェローム・ララランドがこの星を望遠鏡で捉えていますが、観測記録には「恒星」として残されているだけです。
ガリレオから200年以上後の1830年、天王星を発見したウイリアム・ハーシェルの息子であるジョン・ハーシェルは、自作の高性能な望遠鏡で、海王星を観測していますが、彼もまたこれを「恒星」として考えていました。
1845年は、天王星が発見(1781年)からすでに64年を経過し、天王星は太陽の周りをほぼ1周しようとしていたころです。それまでにいくつかの天文学者や数学者が、天王星の軌道を計算し、ニュートンの万有引力の法則に基づいた予測位置と、実際の天王星の位置がずれていることを発表していました。
(ジョン・クーチ・アダムズ/Wikipedia)
1845年、イギリスの大学を卒業したばかりの若い数学者、ジョン・クーチ・アダムズは、天王星の観測データと万有引力の法則を用いて、天王星の軌道に不規則性を与えている仮想天体の位置を計算し始めました。手間のかかる手計算と観測データとの照合を1年半も繰り返したアダムスは、1845年9月18日に計算を完了、さっそくケンブリッジ天文台のジェームス・チャリスに観測による確認を求めました。しかし、チャリスは面倒な未知の惑星の観測に難色を示し、観測を始めようとしなかったのです。
(ユルバン・ルヴェリエ/Wikipedia)
一方で、アダムスと同様の計算を行っていたフランスの数学者ユルバン・ルヴェリエは、1846年6月1日のパリで行われた科学アカデミーで、天王星の軌道を不規則にしている天体は、予測した位置から1°以内にあると発表しました。
アダムスからの観測要請に応じていなかったケンブリッジ天文台のチャリスは、ルヴェリエの発表を受けてやっと観測を開始しました。8月8日と12日の観測では、海王星と思われる星の記録が残っています。しかし、チャリスは最新の恒星表を持っていなかったため、これを惑星と認識することができませんでした。
ルヴェリエは、ベルリン天文台のヨハン・ゴットフリート・ガレに自身の研究結果を送りました。ガレはすぐに観測を始め、探し始めてから1時間以内に、ルヴェリエが予測した位置から1°以内に海王星を発見したのです。ベルリン天文台には最新の恒星表があり、恒星表に載っていない天体をすぐに海王星と特定することができました。ガレは計算の正確さに驚き、「海王星は本当に計算どおりのところにあった」とルヴェリエに返事を送っています。
結果、海王星を発見したのはルヴェリエとガレということになりましたが、現在ではアダムスの功績も認められ、発見者の一人として加えられています。
海王星の衛星
海王星に確認されている衛星は14個です。その多くは逆行(ぎゃっこう)といって時計回りの公転軌道を持っています。(太陽系の他の惑星やその衛星は、ほとんどが反時計回りの軌道を持っている)。また、公転軌道の中心が海王星から大きく離れているものも多い。これら衛星は、原始の海王星が生まれるときに作られたものではなく、太陽系の外縁から飛来した天体が、海王星の重力に捉えられて衛星となったものと考えられています。
海王星の外側には、エッジワース・カイパーベルトと呼ばれる数千個の微惑星が集まった領域があり、太陽を中心とした公転軌道を周っています。これらは、太陽系が作られるときに、惑星になりきれずに残った小天体の集まりです。カイパーベルト天体の中には海王星の軌道と交差するものも多く、なかには海王星の重力によってとらえられ、衛星となったものがあったと思われます。
トリトン
(ボイジャー2号が撮影したトリトン/Wikipedia)
トリトンは、1846年10月10日にウイリアム・ラッセルによって発見された海王星の最大の衛星です。海王星の公転軌道とは逆向きの、時計回りに周っています。海王星の公転によってトリトンの公転にブレーキがかかるため、トリトンの軌道は少しずつ低くなっており、やがては海王星に墜落し、大気との摩擦で燃え尽きるか、破壊された破片が環(リング)になる運命です。(といってもおよそ3億年後の話ですが)
トリトンの大気は、土星の衛星タイタンと同じように、窒素を主体としメタンを含んでいます。表面はマイナス235℃という極寒の世界であるため、地表は固く凍りついたメタンで覆われています。
海王星の公転と逆向きにまわっていることから、潮汐力(ちょうせきりょく)の影響が強いと思われ、それが活発な地殻変動を引き起こし、火山が液体窒素とメタンの溶岩を噴出しているようです。ボイジャー2号が撮影した写真では、火山から流れでた液体メタンにより浸食された峡谷の地形をみることができます。また、噴煙を上げる間欠泉の様子や、薄い雲が確認されています。トリトンにも多くの衝突クレータがあったはずですが、これらの噴出物によって、ほとんどが覆われてしまっています。
プロテウス
(ボイジャー2号が撮影したプロテウス/Wikipedia)
海王星で2番目に大きな衛星で、1989年にボイジャー2号が撮影した写真から発見されました。
直径はおよそ400kmありますが、太陽の光をあまり反射しない物質で表面が覆われています。非常に暗い天体であるため、地上からの望遠鏡観測では見つけることが困難です。
ネレイド
(ボイジャー2号の撮影によるネレイド/Wikipedia)
海王星の衛星で3番目に大きい。1949年5月1日にジェラルド・カイパーが発見しました。海王星の外側にあるエッジワース・カイパーベルトの小惑星が、海王星の重力に捉えられたものと見られています。非常に細長い軌道を持っており、ボイジャー2号が海王星に到達したとき、ネレイドは遠く離れたところにあって、詳細な写真を撮ることができませんでした。
海王星の環(リング)
(ボイジャー2号による海王星のリング/wikipedia)
海王星は5つのリングを持っていて、内側から順に、ガレ環、ルヴェリエ環、ラッセル環、アラゴ環、アダムス環と呼ばれます。これらの名前は、それぞれ海王星の研究に貢献した天文学者にちなんでつけられたものです。
これらのリングは、顕微鏡サイズの細かい塵が集まってできたもので、土星や天王星のような氷の粒で作られたものとは異なっています。むしろ木星のリングに近い組成を持っています。過去に衝突した惑星の破片でできているようです。
太陽の光をあまり反射しない物質で構成されているため非常に暗く、地上からの観測では、リングによって背景の恒星が隠される現象をとらえることによって、リングの存在が予測されたのみで、ボイジャー2号がリングの写真を撮影するまで、確かな存在は分かりませんでした。
ガレ環
最も内側のリングで、1846年に最初に海王星を望遠鏡で観測したヨハン・ゴットフリード・ガレにちなんでいる。リングの幅は約2000kmで、海王星表面の41000kmから43000kmの間にある。リングの厚さは0.15km。
ルヴェリエ環
内側から2番目のリングで、1846年に海王星の位置を計算し、存在を予測したユルバン・ルヴェリエにちなんでいます。リングの幅は、113kmで、海王星から53200kmのところにある。リングの厚さは0.5~0.9kmで、リングのすぐ内側を羊飼い衛星のデスピナが周回しています。
ラッセル環
内側から3番目のリングは、1846年に海王星の衛星トリトンを発見したウイリアム・ラッセルにちなんでいます。幅が4000kmもあり、ルヴェリエ環のすぐ外側から始まって、海王星から57200kmのところまで続いています。リングの厚さは0.4km。
アラゴ環
内側から4番目のリングは、フランスの天文学者フランソワ・アラゴにちなんでいます。海王星から57200kmのところにあって、幅は約100kmあります。
アダムス環
最も外側にある環で、ルヴェリエとは別に海王星の位置を計算により予測したジョン・クーチ・アダムズにちなんでいます。海王星から63930kmのところにあって、幅は15~50km、厚さは0.4km。アダムス環のすぐ内側を衛星ガラテアが周回し、リングの構成物質が流れ出るのを防ぐ働きを持っています。
海王星の探査機
(ボイジャー2号/wikipedia)
これまでに海王星を訪れた探査機は、ボイジャー2号だけで、1989年8月24日に最接近を果たしました。次の探査機としては、2030年ころの打ち上げを計画しているネプチューン・オービターの構想があります。ボイジャー2号からおよそ40年経って、コンピューター技術が向上し、実現すれば、かなり高度な観測データが得られることが期待できますが、木星や土星の衛星に生命の痕跡を探る探査機の計画が優先されており、海王星探査機の実現は未知数といえます。