太陽系 金星

金星ってどんな星?テラフォーミング、あかつき探査機やベネラの歴史も紹介!

2016年12月19日

(※1.金星)

金星は、大きさや地質、質量、太陽からの距離が地球と似ている、兄弟のような惑星です。太陽系が生まれて、惑星がつくられた初期の段階では、同じような環境の星であったとみられています。しかし、太陽にわずかに近かった(太陽-地球間の0.72倍)ため、生命にあふれた地球とはまったく異なる、灼熱地獄(しゃくねつじごく)の惑星となったのです。

 

金星の生い立ち

(※2.金星の表面に衝突して出来たクレーター)

 

38億年くらい前、いん石や微惑星が重爆撃(じゅうばくげき)のように降り注ぎ、原始惑星であった金星は、熱い溶岩の海、マグマ・オーシャンになっていました。火山の噴火もさかんで、大気は水蒸気と濃い二酸化炭素で満たされていたのです。それは、兄弟星である地球も同じでした。地球では、やがて大量の水蒸気は冷えて豪雨となり、数万年に渡ってふり続け、やがて海ができました。ところが、金星は地球より太陽にわずかに近かったので、水蒸気が冷えず、海ができなかったと考えられています。金星の水蒸気は、太陽からの強烈な紫外線で、水素と酸素に分解されて、徐々に宇宙空間に放出されてしまいました。現在の金星大気には、水蒸気は0.002%しかありません。地球では、二酸化炭素は海に吸収され、やがて岩石にとりこまれて石灰岩となり、大気中から取り除かれていきました。 しかし金星では海ができなかったため、二酸化炭素が大気中に残り続け、強烈な温室効果が発生しました。金星の気温は果てしなく上昇していったのです。現在の金星の気温は、500度の高熱で、気圧は90気圧という圧力釜(あつりょくがま)の中にいるような世界です。

 

金星の自転と公転

(※3.金星は約1億800万メートルの平均距離で太陽を周回している)

 

金星は地球よりも内側の軌道を回っているため、公転周期(公転とは太陽のまわりを1周すること)は地球よりやや短くて、約225日です。一方、自転周期(自転とは惑星が1回転すること)は大変に遅く、金星の1日は116日と18時間にもなります。(地球の自転周期は23時間56分)また、金星の自転軸は激しく傾いており、ほとんど逆さまにひっくり返っています。(傾きは177度。垂直に対して3度傾いているように見えるが、実際は上下逆さまになっている)したがって、自転方向が他の惑星とは逆方向になっています。なぜ、自転軸がこのように激しく傾いているのでしょうか。金星の誕生間もないころに、自転軸をひっくり返すほどの、他の惑星との激しい衝突があったと考える説があります。さらに、衝突が金星の自転方向と向かい合う方向であったため、自転速度がたいへんに遅くなったのではと考えられています。

 

金星のデータ

(※4. マリナー10号により撮影)

データ項目 金 星 地 球
太陽からの距離 1億820万キロメートル 1億4960万キロメートル
直径 1万2104キロメートル 1万2742キロメートル
公転周期(1年の長さ) 225日 365日
自転周期(1日の長さ) 116日18時間0分 23時間56分
重力 8.87m/s 9.8m/s
平均気温 464度 15度
最低気温 マイナス45度(雲の上層部) マイナス71度
最高気温 500度 59度
自転軸の傾き 177度(倒立状態、自転方向は他の惑星と逆向き) 23.43度
大気圧 90気圧 1気圧
大気成分 二酸化炭素 : 96.5% 窒素 : 78%
窒素 : 3.5% 酸素 : 21%
二酸化硫黄 : 0.015% 二酸化炭素 : 0.035%
一酸化炭素 : 0.0017% アルゴン : 0.9%
アルゴン : 0.007%
ヘリウム : 0.0012%

 

金星のテラ・フォーミング

(※5. 金星をテラフォーミング後のイメージ図)

 

テラ・フォーミングとは、他の惑星の環境を改造して、人類が住めるようにすることです。現在の金星は、濃密な二酸化炭素による温室効果で、地表の気温は最大500度、気圧は90気圧にもなりますので、とても人間が居住できる環境ではありません。しかし、高度50kmくらいまで上昇すると、気圧と気温が地球と同じくらいまで下がることが、探査機の観測でわかっています。金星の上空に浮かぶ空中カプセル都市を築けば、人類が住むことが出来そうです。また、何百年もかかりますが、高高度で原始的な植物(藻(も)類など)を栽培して、光合成により二酸化炭素を消費させ、酸素を増やせば、地球と同じ環境が作れるかもしれません。

 

金星の観測方法

(※6. 金星の観測モデル。満ち欠けがない外合時に観測上の視直径は最小となり、地球に最も近づく内合時(の直前)に視直径が最大となる)

 

金星は地球の内側をまわる内惑星であるため、明け方の東の空か、夕暮れの西の空に見つけることができます。地球との距離が近いため、ひときわ明るく光って見えます。明け方に見える金星を「明けの明星(みょうじょう)」、夕暮れの西空に見えるものを「宵(よい)の明星」と呼んでいます。金星が太陽のこちら側に回ってくると、地球との距離が近くなります。このときに、双眼鏡や望遠鏡でのぞくと、月のように欠けた形の金星が見えるようになります。地球に近づくにしたがって、金星の欠けは大きくなっていきます。もっとも近い時を「内合(ないごう)」といいますが、そのときは、太陽の光がほぼすべて金星の向こう側にあたるので、新月のように金星は見えなくなります。金星が太陽の周りを回って向こう側に行くと、地球との距離が遠くなり、欠けた金星は丸くなっていき、完全に満ちた金星は、もっとも地球から遠い位置「外合(がいごう)」に位置します。地球の内側を回っている内惑星は、水星と金星ですが、どちらも地球から見ると満ち欠けが起きるのが特徴です。

 

(※7. 金星の太陽面通過)

 

また、「金星の太陽面通過」現象が、100年に一度くらい発生します。金星の公転面は傾いているので、太陽の直径の上を、金星のシルエットが横切って見えるこの現象は、めったに起こりません。最近では、2012年6月5日から6月6日にかけて、世界中で観測されました。ちなみに次回は、2117年12月10日から11日です。

 

金星探査機の歴史

 

旧ソビエト連邦(現在のロシア)の探査機:ベネラ計画

(※8. ベネラ計画の着陸位置)

 

アメリカはマリナ―計画の後、金星探査への興味を失いましたが、旧ソビエト連邦は、探査機を次々と金星に送り込んでいきました。最初は失敗の連続でしたが、ベネラ7号からは成功が続き、驚くべき金星の素顔を人類の前に示してくれたのです。

 

ベネラ1号-3号

(※9. 記念館宇宙飛行士博物館に展示されているベネラ1号の本格的モデル)

 

ソビエトは、1961年2月12日に世界で初めての金星探査機となる、ベネラ1号を打ち上げました。しかし金星に向かう途中、交信ができなくなりました。その後に打ち上げられた、ベネラ2号と3号も、途中で交信不能になってしまいました。3号は交信が途絶(とぜつ)したまま、金星表面に激突したとみられています。

 

ベネラ4号-6号

20気圧の圧力に耐えられるように設計されたベネラ4号のカプセルは、大気中をパラシュートで降下中、高い気圧に耐えられず、破壊(はかい)されてしまいました。20気圧に耐えられる設計では、金星の濃密な大気圏に突入するには、とうてい持たなかったのです。 その後に改良されたベネラ5号と6号も、やはり地上に到達する前に、高温・高圧に耐えきれずに、機能を失ってしまいました。

 

ベネラ7号

初めて金星の地表に着陸したのはベネラ7号で、1970年2月15日のことでした。

潜水艦の技術を生かして、卵型をした鋼鉄(こうてつ)製のカプセルに、観測機器をおさめたチタン製の球型容器を格納(かくのう)し、180気圧に耐えられるように設計されていました。

 

しかし、金星の大気圏を降下中、パラシュートがうまく開かず、地表に激突してしまいました。交信はとだえ、観測データも送信できなかったと思われましたが、かすかな電波を解析(かいせき)すると、激突のあと23分間は、データを送り続けていたことが分かりました。温度465度、気圧90気圧という、驚くべき数値が送られてきていたのです。

 

その値は、金星を地球にある熱帯のジャングルのように想像していた、世界の人々を驚かせました。現実の金星は、金属を融かすほどの高温、圧力釜に閉じ込められたような高圧の世界で、生命などとても存在することができない、過酷な惑星だったのです。

 

ベネラ8号

ベネラ8号も、金星の地表に無事着陸をはたし、過酷な環境に耐え、50分間データを送り続けました。金星の地表は、地球のくもり空くらいの明るさがあり、写真撮影が可能なことがわかりました。

 

ベネラ9号

ベネラ9号は、金星の地上から写真を撮影することを目的とし、初めてカメラが搭載されました。頑丈な圧力容器に取り付けられたカメラ窓は、ガラスでは融けてしまうので、厚さ1センチの水晶で作られていました。

1975年10月22日に着陸成功、2つ搭載されたカメラのうち1つが、レンズキャップが外れないというトラブルがありましたが、人類ははじめて、荒れた岩場がひろがる金星の地上風景を見ることになったのです。

ベネラ10号

その3日後、ベネラ10号が、ベネラ9号から2200kmはなれた地点に着陸しました。やはり、レンズキャップの1つが外れず、計画していたパノラマ写真はとれませんでしたが、9号に続けて金星の地上風景を撮影することに成功しました。

ベネラ11号・12号

ベネラ11号と12号は、カラーカメラを2台ずつ備えていました。どちらも金星表面への無事着陸が確認されましたが、カメラのレンズキャップが2台とも外れない、というまさかのトラブルに見舞われ、写真は1枚も送られてきませんでした。土壌(どじょう)分析機も動きませんでしたが、雷(かみなり)の存在が確認されました。

 

ベネラ13号

(※10. 着陸したベネラ13号から送られてきた金星地表のカラー写真)

ベネラ13号は、1982年3月1日に金星表面に着陸しました。今度はレンズキャップが2つとも外れて、カラーのパノラマ写真を送ることに成功しました。また、地表から土壌のサンプルをとって、成分を分析することも行いました。

 

ベネラ14号

ベネラ14号は1982年の3月5日に、金星表面に到達しました。

レンズキャップが2つ外れて地上に落とされ、ペネトレータと呼ばれる、地面の硬さや電気抵抗を測定するセンサーアームが、ばたんと倒れて地面に刺さりました。

しかし、なんという偶然でしょうか。ペネトレータが刺さった先は、地面に落ちたレンズキャップだったのです。センサーはレンズキャップの値を測定することになってしまったのでした。

 

ベネラ15号・16号

ベネラ15号と16号は、金星の地形を軌道上から調査する目的で打ち上げられ、1983年10月に金星の軌道に入り、8か月をかけて、金星表面の1/4を地形図に作成しました。

金星は濃密な雲で覆われ、外から表面の地形を見ることができません。そのため、合成開口レーダーというものを装備し、金星の周回軌道を回りながら、金星表面をレーダーでスキャンする方法がとられました。

 

日本の探査機:あかつき

(※11. H-IIAロケット17号機による「あかつき」の打ち上げ)

 

あかつきは、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)が、2010年5月21日に打ち上げた金星探査機です。金星上空に秒速100メートルの高速で吹き荒れる、「スーパーローテーション」と呼ばれる風の謎を解明するのが、おもな目的となっています。

 

あかつきは最初の軌道投入に失敗

 

あかつきは打ち上げ後、順調に航行を続け2010年12月7日、金星の周回軌道に入るための逆噴射を行いました。しかし、メインエンジンのトラブルで周回軌道への投入に失敗。エンジンの異常で姿勢が乱れたことを検知したあかつきのコンピューターが、エンジンの噴射を自動で止めたのです。燃料配管の途中にある逆流防止弁の密閉部分にわずかなすき間が発生し、そこからしみだした酸化剤の蒸気が、燃料の蒸気と反応した結果、生成された化合物が配管につまって、燃料の流れをさまたげていたことがわかりました。あかつきは、太陽をまわる周回軌道に入りました。しかし、これでは、目的としていた金星の観測は出来ません。計画は失敗したと思われました。

 

姿勢制御用エンジンを使うことに決定

しかし、金星もあかつきもどちらも、太陽の周りを回る軌道に乗っており、2016年末にふたたびお互いに接近します。そのときをねらって、エンジンを逆噴射すれば、金星の周回軌道に入ることができます。ところが、メインエンジンをチェックしたところ、本来の1/9しか推力を出せないことがわかりました。次の逆噴射は絶対に失敗できません。検討した結果、メインエンジンを使わず、姿勢制御用の小さなエンジン4つを、同時に噴射することにきまりました。

 

10万回の軌道計算

 

最適な投入軌道をさがして、10万回もの軌道計算が試されました。その結果、軌道再投入の日は、2015年12月7日に決定されました。それは奇しくも、最初の軌道投入に失敗した日と同じという、運命的なものとなったのです。

 

軌道再投入に成功

 

1分間の連続噴射しか想定されていない姿勢制御用のエンジン、それを4つ同時に20分間連続噴射し、減速することに成功。あかつきは無事、金星を回る楕円(だえん)軌道に投入されました。その後、何回か姿勢制御をおこない、2016年4月からは、近地点(金星に最も近いとき)400km、遠地点(金星から最も離れるとき)31~34万kmの楕円軌道をまわって、現在も観測を続けています。あかつきの軌道計算を担当した、主任研究員の廣瀬史子(ひろせちかこ)さんの夫(おっと)は、軌道再投入の前日、いつも帰りが遅い史子さんの夕食に、豆乳鍋をつくりました。そして、「だって明日は投入(とうにゅう)でしょ」といって、妻の苦労をねぎらい、成功を祈ったそうです。

 

※1〜11:写真の引用元はwikipedia/他写真についてはフリー素材(photo ACより)

※10:写真引用元:https://www.nasa.gov/

 

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