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古代の宇宙観を解説!エジプト・インド・バビロニア・中国の宇宙観

2018年1月30日

 

古代の人々は自分たちの世界(宇宙)をどのように考えていたのでしょうか?

各地の神話や宗教が語っている宇宙論をこれから見ていきましょう。

 

古代の宇宙観の共通点

 

古代人は自分たちのいるところが世界の中心だと考えていました。

例えば中国には自分たちの国が世界で一番素晴らしいところで、

周囲の国は野蛮な民族であるという漢民族中心の思想(中華思想)がありました。

これはどの地域でも同じで、自分たちが宇宙の中心にいるという考え方は共通しています。

また、大地は静止していて、太陽や星の方が動いているとことが前提となっています(天動説)。

昔の人々は、日常生活で得られる情報・感覚から類推して宇宙観を形作っていったのでしょう。

確かに、素朴な視点でみると大地が動いていると感じられませんし、

太陽や星は自分のいる所を中心に回っているように見えます。
 

古代インドの宇宙観

 

古代インドでは、半球状の大地が大きな蛇と亀と

その上にいる三頭の像に支えられていると考えられていました。

この大地の上には須弥山(しゅみせん)という高い山がそびえ、

その周りを九つの山と八つの海が取り囲んでいると考えられていました。

インドで発祥した仏教にもこの世界観は取り入れられました。

仏教では須弥山を中心とした世界を一世界と呼び、一世界が1000個集まったものを小千世界といい、

小千世界が1000個集まったものを中千世界といい、

中千世界が1000個集まったものを大千世界といいます。

また、大乗仏教ではお釈迦さま以外にも多くの仏がいて、

それぞれの仏が支配する世界(浄土)があるとされます。

代表的なのが阿弥陀如来の極楽浄土です。

 

古代エジプトの宇宙観

(画:ゲブとヌト wikipedia

 

ピラミッドを作ったエジプト人は、

天空の女神ヌトが大気の神シューに支えられていると考えていました。

人々の住む大地はゲブという女神とされていました。

太陽の神と月の神は天空のナイル川を船で渡ってくると信じられていました。

空にもナイル川があるとのいうのがエジプトらしいですね。

 

古代中国の宇宙観

 

日本語の「宇宙」の語源は中国の古典に求めることができます。

淮南子に「往古来今これ宙という、天地四方上下これ宇という」とあり、

「宇」は空間を示し、「宙」は時間を表しています。

古代中国の宇宙モデルの代表的なものに「天蓋(てんがい)説」があります。

大地は巨大な”ふた”で覆われたていて、”ふた”の内側に太陽や星が張り付いると考えられていました。

漢字の「宇」も「宙」も屋根を表す「うかんむり」がついていますが、

古代中国人には天は大きな屋根に見えていたのでしょうか。

 

古代バビロニアの宇宙観

 

古代バビロニアの人々は、大地は大洋に囲まれていて、

その太陽のまわりは高い絶壁になっていると考えていました。

絶壁の上には釣鐘状の天井がかかっていて星はその天井にくっついているとされていました。

星座はバビロニアの羊飼い達が考えたものが元になっています。

星と星を結んで絵を描くという発想は星までの距離がどれも同じという見方から出てきたと思われます。

星座には星の位置から方角を知るという実用的な目的がありました。

現在の天文学でも星の名前や位置を表すのに88の星座が使われています。

 

宇宙観の変化と想像力

 

古代の人々は自分のいるところが特別な場所と考えていましたが、

現在では地球は太陽を回る惑星の一つであり、

その太陽も銀河系の端にあるありふれた恒星の一つであることが知られています。

これは、子供の頃は自分が世界の中心と思っていたのが、

成長するにつれて視野が広がり世界の見方が変わっていくのに似ています。

それにしても、昔の人の想像力の豊かさには感服させられます。

この想像力が人類の文明や文化の源になっているのだと思います。

現在、宇宙について分かっているのはほんの少しのことです。

宇宙にある物質の90%は未知の物質と言われています。

これからの観測技術の進歩によってまた宇宙の見方も変わっていくかもしれません。

 

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