スペースX

スペースXで働いていた日本人がいた!?高橋有季さんのこれまで

2018年7月1日

 

スペースXは、現在のアメリカの宇宙開発においてもっとも

注目を集めている民間企業といっていいでしょう。

 

おどろきの低コストロケットでこの分野におけるトップランナーになっていますが、

日本のロケットビジネスはスペースXのような会社に対抗できるのでしょうか?

 

また、ここではスペースXで働いていたという日本人についても紹介します。

 

日本の次世代ロケット「H3」開発開始

 

現在、アメリカでは民間企業スペースXを中心とした

「ロケットビジネス」分野における競争が激化しています。

 

日本では宇宙航空研究開発機構「JAXA」が、

これからに需要が増えると見込まれている大型静止衛星等の打ち上げ受注を考慮して、

2020年までに1号機の打ち上げを予定している次世代のロケット「H3」開発が始まっています。

 

しかし、「ロケットビジネス」として成立するためにはロケット価格の引き下げ、

顧客からのいろいろな要求に対しての対応が問題で、

このビジネス業界で勝ち残るために、航空宇宙技術のレベルアップが必要とされています。

 

JAXAは先日、国際宇宙ステーションに荷物を送る

「こうのとり」が積まれたロケット「H㈼B」を打ち上げて、

 

無事に成功させています。

現在の日本のロケットの打ち上げ成功率は97%で評価が上昇していることもあって、

売り込むチャンスも出てきています。

 

JAXAは三菱重工業等とタッグを組んで、商業衛星打ち上げのビジネスを構想しています。

 

「無人補給機」はその名の通り無人で宇宙へ打ち上げられる物資の運搬が目的の補給機ですが、

これまではアメリカでは「ドラゴン」「シグナス」、ロシアでは「プログレス」などがありましたが、

打ち上げ失敗が増えたために、NASAからJAXAの無人補給機「こうのとり」を

使わせてもらいたいという要請がありました。

 

このため「こうのとり」は水再生装置を無事に国際宇宙ステーションに運び、

諸外国に向けてJAXAのロケット技術の信頼性を高めました。

 

JAXAの奥村理事長は、将来的に火星などの遠い宇宙に向かうとき、

我々の無人輸送機の存在感が高まるのではないかと話しています。

 

日本のロケット開発と外国のライバルたち

 

日本の宇宙ロケット開発は、「N-㈵」という1975年のロケットからでした。

その後、86年に9機打ち上げられた「H-㈵」によってロケット技術の基礎を作りました。

 

ロケット「H㈼B」ではさらに技術を向上させていますが、

スペースX社などの「ファルコン・ヘビー」のように、

ビジネスとして勝ち残るにはさらに大型のロケットでなければならないでしょう。

 

このような状況から、政府が宇宙ビジネスのために開発をスタートしたのが「H3」で、

部品は全部日本製、外付けの固体ロケットは、機種によっては4本まで付けられて、

6.5トン以上重さを持つ静止衛星を搭載できるなど、

多くの衛星需要に対応できるスペックとなっています。

 

スペースXはロケットの「低コスト化」が注目されていますが、

JAXAも顧客の声を考えたロケットを目指し、価格をこれまでの半額である約50億円に抑え、

組み立てる作業もスピードを上げて最短26日ほどの打ち上げ間隔を目指します。

 

それでも、やはり手ごわい競争ライバルとなるのがスペースXです。

スペースXの低コストロケットには、JAXAの担当者も驚いているそうです。

 

また、ヨーロッパ諸国が共同で資金を出して開発された「アリアン5」も、

JAXAのロケット「H3」のライバルになるようです。

 

 

スペースXで働いていた日本人がいた!

 

スペースXといえば、現在の宇宙開発においてマスコミ的な注目度ナンバーワンの民間企業です。

 

その理由は、最高取締役のイーロン・マスク氏が型破りな人物で、

これまでのコストがかかりすぎる宇宙開発に真っ向から対抗しているからでしょう。

 

宇宙ロケットの低コスト化をどこよりも早く進めており、

これがこれからの宇宙開発に多大な影響を与えることは間違いないからです。

 

そんなスぺースXで働いていた日本人がいたのをご存知でしょうか?

 

スペースXは2012年の5月に、

国際宇宙ステーションへ物資を届ける宇宙船を民間の企業では世界で最初に開発した企業です。

スペースXでは、今後物資だけでなく宇宙飛行士も運ぶ予定だそうです。

この2012年まで、スペースXで働いていた日本人が高橋有希さんです。

 

一般的なイメージの宇宙開発というものは、

だいたいはNASAなどの政府の機関が行っているものという感じですよね。

 

一昔前なら、民間企業が宇宙ロケットを飛ばすなんていうことは夢物語でした。

そんな現実を塗り替えたのがスペースXです。

 

現在のアメリカでは、NASAが方針転換したこともあって、

民間企業で宇宙開発を計画するベンチャー企業がたくさん出てきているようです。

 

多くのベンチャー企業が、NASAの計画や民間宇宙飛行のためのロケット/宇宙船を開発し、

この分野に参入しようとしています。

 

この民間企業の動きによって「ニュースペース(新しい宇宙産業)」という言葉もできているほどです。

宇宙開発に民間企業が出てくるということは、

開発競争によって発展のスピードがアップするという面もあるのではないでしょうか。

 

その民間企業の宇宙開発のパイオニアともいうべき存在がスペースXですが、

このスペースXで働いていた日本人の高橋有季さんは、

高校からアメリカ留学をしていて

そのままカリフォルニア大学のバークレー校において物理学博士号を所得して、

2011年にこのスペースXに入社しています。

 

アメリカで学生時代を過ごし、そのままスペースXに入社したというから、非常に国際的な方ですね。

 

 

高橋有季さんのこれまで

 

スペースXは宇宙開発において今では超有名な企業となっているので、

社員などに対しての取材はかなり難しいようです。

 

宇宙開発というもの自体、機密が多いという面もあるかもしれませんが、

スペースXではイーロン・マスク氏と広報以外は発言してはいけないという決まりがあるそうです。

 

高橋さんはカリフォルニア大学で物理学の博士号を取得したというエリートですが、

この大学の研究がおどろきです。

 

宇宙の謎を解明するために南極点に望遠鏡を設置して、

総計で10ヵ月も南極の「アムンゼン・スコット基地」に滞在したという経験をしています。

 

その後に入社した民間宇宙企業のスペースX社ではエンジニアとして、

「ドラゴン宇宙船」で初の国際宇宙ステーションへ物資を補給するミッションに参加しました。

 

現在ではスペースXを退社し、新しい宇宙ベンチャー企業に加わっているそうです。

 

高橋さんは子供のころから宇宙にあこがれていて、

将来は宇宙飛行士になって月に行きたかったそうです。

 

親に連れられた図書館で天文学の辞典を見つけ、

そこで惑星等の写真を見てワクワクしていたそうです。

また、ベストセラー「ホーキング、宇宙を語る」なども読んでいたそうです。

 

12歳から2年間アメリカで家族とともに過ごしていたとき、

生徒が休暇中参加できるプログラムのスペースキャンプにおいて宇宙開発について知り、

宇宙飛行士になるにはアメリカで学業を学んだほうがいいと判断したそうです。

 

日本に戻って高校生になるものの、すぐにアメリカの高校に転入し、

現在までアメリカで過ごしています。

 

「宇宙飛行士になるためにアメリカで教育を受けよう」というのは、

このときの直観の決断だったかもしれませんが、それがまさに功を奏し、

現在宇宙にまつわる仕事をなされています。

 

まだ夢である宇宙飛行士にはなっていませんが、

いろいろな意味で宇宙開発のキャリアを積めることができたため、

研究者・社会人として宇宙への情熱を仕事に向けている方です。

 

 

スペースXで働いていた国際的な日本人

 

スペースXと争う日本のロケットビジネスや、

スペースXで働いていた日本人、高橋有季さんについてでした。

 

スペースXの目指す低コストロケットに、

日本のロケット技術が対抗できるのか注目ですね。

また、スペースXといえば当然社員になるために厳しい審査があるわけですが、

この会社で働いていた日本人がいたというのも、おどろきでした。

 

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