探査機

ルナ計画とはどんな計画?ロシアが世界に先駆け行った無人月探査

2019年3月3日

ルナ11・12号(E-6LF型)探査機 wikipedia

ルナ11・12号(E-6LF型)wikipedia

 

人類初の有人宇宙飛行を行ったのが当時のソ連(現在のロシア)ですが、ではソ連は月面探査をしなかったのでしょうか?一般的にはほとんど知られていないかもしれませんが、ソ連も月面探査の計画はしていました。

 

それが「ルナ計画」です。

 

今回は、この知られざるソ連の「ルナ計画」についてみていきましょう。

 

無人月探査の「ルナ計画」とは?

ルナ16号(E-8-5型) 探査機 wikipedia

ルナ16号(E-8-5型) wikipedia

 

冷戦時ではアメリカとソ連が宇宙開発の分野においてもしのぎを削っていたわけですが、今では考えにくいことに当時はソ連がアメリカよりも先を進んでいました。そのため、人類初の有人宇宙飛行を実現したのもソ連ですね。

 

そんなソ連が、アメリカのアポロ計画より先に計画していた無人の月面探査計画が「ルナ計画」です。1959年〜1976年までの間、ソ連はルナの1号〜24号までを月に送りました。他の打ち上げ失敗機も含めれば、1958年〜1976年の間に「ゾンド計画」除き合計で43機もの月探査機を打ち上げています。

 

この計画によってソ連は月探査計画においてもアメリカの先を行くことになりました。アメリカはルナの月面到達や月面着陸によって強い危機感を覚えましたが、「アポロ計画」が成功したことにより立場は逆転しました。

 

冷戦時のソ連とアメリカの宇宙開発競争

 

1957年〜1958年に、ソ連とアメリカは人工衛星を打ち上げることによって宇宙開発をスタートし、これが国威の発揚のために絶好の機会であると認識しました。ソ連とアメリカは当然、有人での宇宙飛行という目標を抱えましたが、その開発の前に難易度がより低い月探査競争が開始されました。

 

この過程で、ソ連のルナ1号〜3号までが打ち上げられたのです。この時の月探査は、月までの接近または衝突を目的にしていました。1958年9月、アメリカはパイオニア月探査機を打ち上げたものの、よい成果は得られませんでした。

 

同時期、ソ連もルナ探査機を打ち上げ月面衝突を目指したものの、故障のために3回とも連続して失敗しました。それでも、1959年の1月2日に4回目の打ち上げによって月に向かう軌道に探査機を投入、これがルナ1号と呼ばれました。

 

ルナ1号は「地球の重力圏から離れた、世界で初めての人工惑星」になりました。1959年の9月12日に打ち上げられたルナ2号は、世界初の月面到達した人工物です。この3週間後の10月4日に打ち上げられたルナ3号では、世界初の月の裏側の撮影に成功しました。

 

1960年4月以降、ソ連は有人宇宙飛行を実現するために力を入れので、月探査は途絶えることになりますた。これに対してアメリカはパイオニア計画でつきを目指しましたが、成果はパイオニア4号が月から6万kmという距離を通ったくらいでした。

 

ソ連の有人月探査は?

赤色が月面におけるルナ計画の着陸位置 wikipedia

赤色が月面におけるルナ計画の着陸位置 wikipedia

 

世界で初めて月に探査機を到達させたのはソ連だったというのは、一般的にはあまり有名な話ではないですよね?では、ソ連はその後、有人月探査に成功したのでしょうか?

 

旧ソ連はアメリカに対抗して、有人でのロケットの開発も進めました。この指揮をしていたのが当時のソ連で一番のロケット技術者である、コロリョフでした。ソ連は無人探査機での月到達後、今度は「ソユーズ宇宙船」を使い人間を月に到着させるという計画を立て、1960年にその計画がスタートしました。

 

開発されたロケットは地球低軌道に60トン〜80トンという宇宙船を送り込むことが可能なほどのもので、このロケットが「N-1」と名付けられました。コロリョフを中心に、ソ連はこのN-1ロケットの開発が進められ、並行して宇宙飛行士の宇宙飛行が行われ、有人飛行の経験値を積み上げていきました。

 

しかしここで問題が起きます。ロケットの開発が遅れ、政府からの圧力等といった多くのことがあり、開発指揮をしていたコロリョフが体をこわして1966年にこの世を去ってしまいます。その後、ソ連はロケット・宇宙船開発の分野でアメリカに追い抜かれることになっていきました。

 

1969年の2月にようやくできたN-1ロケットが打ち上げられましたが、発射の直後に大爆発し打ち上げ失敗となりました。この半年後に、アメリカの「アポロ11号」が月面に着陸し、人間が世界で初めて月に降り立つことに成功しました。

 

ソ連の有人月探査はこのようにしてアメリカに敗れるということで終了しましたが、蓄積された有人宇宙技術は今でもロシアの宇宙開発で活かされています。有人探査ではアメリカに負けてしまったものの、ソ連の無人月探査「ルナ計画」は、世界初の探査機の月面到着や月面のサンプルを地球に持って帰るなどの、たくさんの成果を挙げていたことは事実です。

 

当時のソ連の宇宙開発は進んでいた

 

旧ソ連、現在はロシアの無人月探査「ルナ計画」についてでした。月探査といえば当然アメリカの「アポロ計画」が知られているんですが、こんな計画がその前にあったとはあまり知られていませんよね?

 

しかも、宇宙分野で世界初づくしのことをしていたというのだから、当時のソ連は宇宙開発でかなり先を進んでいたんですね。ただ、これは無人での探査ということで、有人探査のアポロ計画のほうがやはり目に見えてわかりやすいので有名となっているのでしょう。

 

-探査機
-