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ジョルジュ・ルメートルとはどんな人?アインシュタインも認めた天才学者

2018年8月2日

ジョルジュ・ルメートル

 

今年7月17日は、宇宙物理学者であり天文学者、

さらにはカトリック司祭でもあったジョルジュ・ルメートルの生誕124周年です。

ベルギーのルメートルは、「膨張宇宙論」を提唱したことから、

宇宙論や宇宙科学の分野でアインシュタインと同じくらいの業績を持つ人物と言われています。

 

しかし、あまり一般的には知られていませんよね。ということで、

今回はこの知られざる天才、ジョルジュ・ルメートルについてご紹介します。

(画像引用元:ジョルジュ・ルメートル wikipedia)

 

ジョルジュ・ルメートルはどんな人物?

 

ジョルジュ・ルメートルはベルギーのカトリック司祭であり、宇宙物理学者・天文学者です。

今年7月17日でルメートルの生誕124周年であり、

あの Google のトップページのデザインにもなりましたね。

しかし、ルメートルという人物は、一般的にはあまり知られていないところがあります。

 

彼は自分の宇宙の起源に関して、「原始的原子の仮説」と呼んでいました。

宇宙の年齢は100億年から200億年ということを推定していて、

これは驚くことに、現在の最新の宇宙観測から推定された数値と整合しています。

 

ルメートルはベルギーのエノー州出身で、イエスズ会学校で人文科学を学び、

後にルーヴェンカトリック大学土木工学科に入学しました。

 

第一次世界大戦が1914年に起きるとベルギー陸軍に志願して入隊しています。

ルメートルは戦争を自ら戦地で経験したわけですが、ここでの出来事に深い衝撃を受けています。

 

戦争が終わると物理学と数学を学んで、

さらにそれとはまったく違う分野である「司祭職」になるための準備もしました。

 

1920年には、数学についての博士論文を執筆し博士号を取得しています。

 

1923年には司祭になるものの、宇宙や数学についての好奇心はそのまま持っており、

現在でも完全に理解している人は、

世界に数人しかいないというあの相対性理論を学んでマスターした彼は1927年、

国際的に物議を生むことになる論文を発表しています。

 

この論文はブリュッセル科学会年報で発表された、「膨張宇宙」についてのアイデアです。

 

ルメートルは名声にほとんど関心がなく、

自分が書いた論文を世に広く紹介しようとはしませんでした。

その代わり、宇宙の起源についての問題を解くための新しい挑戦に専心していました。

 

1931年ロンドンに免れて英国科学会の会議に参加しましたが、

ここで彼は特異点からの膨張宇宙論を発表し、

論文で提案していた「原始的原子」というアイデアを紹介しました。

 

ルメートルは、原初の宇宙はただ1つの粒子だったという宇宙モデルを構築しました。

 

ここでは、すべての宇宙の時空・物質が内部に封じ込められている

極めて小さな「宇宙粒子」が最初にあり、

これが放射性元素の自然崩壊というようなプロセスで壊れることで、

ここから宇宙の膨張・内部構造の生成が一気に始まったとしています。

 

さらに、その間でバランスをとる作用が起きて、

約90億年前に膨張が勝って以来、銀河がお互いに離れていったという考えです。

 

この理論で重要なポイントは、宇宙の膨張というアイデアより、

「膨張がスタートした事象を仮定したこと」です。

 

この説こそが「ビッグバン」モデルの起源となったのです。

 

この理論を自分で「宇宙卵が生まれる瞬間に爆発した」とよく表現していました。

 

アインシュタインが感銘したセミナー

 

この説は科学会に衝撃を引き起こしました。

これに反発する人もいて、当初はアインシュタインも疑いを持っていた人物の一人した。

 

なぜかと言えば、この理論はキリスト教の「天地創造」を強くイメージさせて、

物理学からは認めることができないものだったからです。

 

ここから「宇宙と宗教」の争いが何十年も続くことになりました。

 

この中で、ルメートルが「科学と信仰を別に考える」と言う

立場の中心的な役割を担うことになります。

 

最初はルメートルに不信を抱いていたアインシュタインは考えを改め、

ルメートルがセミナーでその理論を説明すると、

立ち上がって拍手をして「私がこれまでに聞いた最も美しくて納得ができる説明だった」

と語っています。

 

その後は1934年にベルギーの科学会で最高の栄誉であるフランキ賞を受賞、

1941年にはベルギー王立科学芸術アカデミーの会員に選ばれ、

1953年にはイギリス王立天文学会の「エディントン・メダル」の最初の受賞者となりました。

 

晩年は数値計算に熱心に取り組んでいて、

コンピューターの発展やプログラム言語等に強い関心を持っていました。

 

1966年6月20日、ルメートルの直感を裏付ける

「宇宙マイクロ波背景放射」が発見された後、ルーヴェンで亡くなっています。

 

 

ルメートルの性格は?

 

ルメートルは社交的で学生たちや研究者とも付き合いがありましたが、

一方では孤独でもあり、研究者たちとの手紙のやり取りや、

情報の交換をしていなかったともされています。

 

現在の宇宙論にルメートルが与えた先駆的業績は、

アインシュタイン・ハップル・ガモフなどの科学者のそれに埋もれているかもしれませんが、

この要因のひとつはルメートルがキリスト教の司祭であったことと、

謙虚でありそれでも尚利己的というから相反する二面性から来ているとされています。

 

謙虚という点は名声を追い求めず、

周りに仕事を認めてもらう努力もしなかったことからもわかります。

利己的な面というのは、数学者として能力やアイデアの独自性に多大な自信を持っていたという点です。

 

それでも、ルメートルは楽天的な性格で柔軟な心を持っている人物でもありました。

 

 

ハッブルの「宇宙膨張論」の存在

 

ルメートルが発表した「宇宙膨張論」は、20世紀で最大の発見とも言われています。

なぜそれを発表した人物があまり知られていないのか、

それは、ルメートルよりも後に発表された宇宙膨張についての

エドウィン・ハッブルの論文が一般的に有名だからです。

 

「宇宙はその全ての方向に膨張している」という宇宙膨張説は、

エドウィン・ハッブルの説として一般に有名で、

「ハッブル定数」という宇宙の膨張率についての論文が1929年発表されています。

 

近年では宇宙の加速膨張にノーベル物理学賞が与えられましたが、

ハッブルはノーベル賞を受ける前に亡くなりました。

しかしその名前は「ハッブル宇宙望遠鏡」に残されています。

 

このハッブルの論文の2年前に、ルメートルの論文が発表されていました。

 

もしも、ルメートルが熱心にPRしこの論文が有名になっていれば、

歴史は変わっていたのかもしれません。

 

この論文が有名にならなかったのは、

上記の「ブリュッセル科学会年報」という雑誌が非常に

マイナーなものだったため、ほとんど一般的知名度は0という感じだったのです。

 

歴史が違っていれば、あの宇宙の望遠鏡は「ルメートル望遠鏡」になっていたかもしれませんね。

 

 

あまり有名でない宇宙物理学者ルメートルの話でした

 

カトリック司祭でありながら先進的な宇宙膨張論を発表した、

埋もれた天才であるジョルジュ・ルメートルについてでした。

こういったマイナーな偉人を知ることも、宇宙を学ぶことで大切なことかもしれません。

 

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